この坊中学校の写真は、アマチュア・カメラマンの江塚勝馬氏(のちの御厨村長、“磐田用水の父”と呼ばれた)が大正期に複写したものです。
 坊中学校(のちの鎌田学校、御厨尋常高等小学校)は、匡王寺住職・松村淳高の寄付により、見付学校より早い明治8年(1875)4月12日に医王寺境内に落成しました。
 しかし、明治42年(1909)火災に遭い惜しくも焼失しました。
坊中学校があった、匡王寺の周辺 現代の様子
▲坊中学校石碑(匡王寺内)
匡王寺正面(匡王寺内)
▲坊中学校が建っていた場所
匡王寺内)

▲豊照社屋台小屋
匡王寺内)祭の様子

▲よく行くお店「茶間亭」
匡王寺南東)
▲地元消防団小屋 (匡王寺南)
消防団の活動

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